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東京都平和祈念館(仮称)建設は                               .
なぜ進まないのか  .

 1994年(平成 6年) 5月 東京都が東京都平和祈念館(仮称)基本計画を策定、1996年(平成 8年) 5月、「東京都平和祈念館(仮称)建設委員会」を設置して計画した平和祈念館(仮称)建設案は、1999年(平成11年)3月月9日、 第一回都議会定例会において、

「平和祈念館(仮称)については、次の事項に配慮すること
(1)平和祈念館の建設に当たっては、都の厳しい財政状況と従来の経緯を十分踏まえ、展示内容のうち、いまだ議論の不十分な事実については、今後さらに検討を加え、都議会の合意を得た上で実施すること。
(2)東京空襲犠牲者追悼碑の早期建立に取り組むこと。
(3)東京空襲犠牲者名簿の収集、作成を平成十一年度の早期に開始すること。

という 「付帯決議」を付けました。 
 同年青島知事から石原知事に変わると、建設計画は財政再建プランに無く、それから19年を経ています。(1)平和祈念館の建設については、都議会への説明は必要であった。

 「付帯決議」以降の、東京都議会の定例会と文教委員会の会議録をみると、東京都は 付帯決議を踏まえ、(2)と(3)を先行して1999年(平成11年)の
6月から東京空襲犠牲者名簿の収集を始めています。また、同年10月29日、「東京の大空襲犠牲者を追悼し平和を願う会」を設立、その目的は、都が建設する東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念するためのモニュメントの建設経費の一部に寄附することを目的に設立された任意団体。
 委員は、遺族・都民、民間団体、議会、行政の二十五名で構成。役員は、会長が石川六郎東京商工会議所名誉会頭、副会長が佐々木健雄東京都医師会長と福永正通東京都副知事、監事が
山崎昇墨田区長。
 募金目標額は1億円、募金の期間は、平成11年11月から平成12年9月まで。募金の呼びかけは、都民、民間団体、企業、都及び区市町村に幅広く協力を要請していく。

 かくして、 付帯決議、(2)と(3)については、上記のモニュメント計画により、2001年(平成13年)に 「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」として完成しています。

 付帯決議の(1)平和祈念館についてはどうなっているか。
 前記の「平和を祈念する碑」をつくったので、
東京都は、平和祈念館の設計から地下の犠牲者指名等を納める個所を設計から削除しなければなりません。そして展示内容のうち、まだ議論の不十分な事実についての検討をしなければなりません。

 ところで、たくさんの会議録を辿ってみても、文教委員会において、都側が「議論の不十分な事実にさらなる検討」を行った形跡はありません。都に対する都民からの凍結解除の陳情や署名の採択を文教委員会に審査を諮るが、委員会は19年前の付帯決議とした当時と同様な議論を繰り返し、採択に至りません。
 会議録 [2008-03-18]と [2009-05-27]の文教委員会、[2014-09-17]第3回定例会(第11号)、 [2016-02-15]文教委員会、[2017-02-15]第2回4定例会などで、都生文局は、“その建設については、改めて都議会での一定の審議と合意がなされなければ、対応が難しいと認識しております。”と再三述べています。また、議事録を観れば、石原知事も付帯決議を尊重しています。
 
ここで、都生文局は、付帯決議(1)の「今後さらに検討を加え」の文の主語は「都議会」とみなしているようです。しかしこの主語は「東京都」であるはず。
 文脈から、「展示内容のうち、いまだ議論の不十分な事実については、東京都が、今後さらに検討を加え、都議会の合意を得た上で実施すること。」
という経緯ではないでしょうか。  

 会議録から、平和祈念館の建設の必要性については、都生文局と文教委員会の双方共に繰り返し認めています。計画の凍結状況を打開するために、
東京空襲遺族会として東京都知事と都議会議長宛てに、「東京都が中心となって、〈展示内容のうち未だ議論の不十分な事実について(祈念館の設置場所を含めて)検討する小委員会>を設置する」よう請願していく必要があります。
 東京都は前に、付帯決議(2)と(3)について、「東京の大空襲犠牲者を追悼し平和を願う会」を設立した前例があります。

 展示内容は、倫理学上でいう高邁な規範命題に偏ることを避け、事実命題(記述命題)を趣旨として、「東京空襲」という甚大な歴史的被害事実とともに、戦後70年余の被占領時代、日米安保・同盟時代における慰霊堂の歴史的現状(震災犠牲者と空襲犠牲者との合祀に至っている経緯)を、東京都としての公的施設に記録することが重要です。事実に関する規範命題解釈は来訪者の判断に委ねられます。

再検討小委員会(仮称)は、会派に無関係に、世界の歴史の中における日本の歴史を相対的に捉え、東京空襲という事実を、文科省の「博物館の設置及び運営上の望ましい基準(平成23年)」、あるいは日本博物館協会による『博物館の原則-博物館関係者の行動規範(平成24年)』に則って、偏向することのないように再検討することを要望したい。


         
 下記に関係する議事録を紹介します 

                      

      東京都議会議事録から、関係個所を抜粋

1999-02-05 :平成11年文教委員会 本文
クリック
16 : ◯たぞえ委員長
次に、理事者から東京都平和祈念館(仮称)に係る展示内容等に関する都民意見(要旨)について報告の申し出がございますので、これを聴取いたします。
17 : ◯赤星文化施設計画担当部長
 東京都平和祈念館(仮称)に係る展示内容等に関する都民意見(要旨)につきまして、お手元に配布の資料に基づきましてご説明申し上げます。
 本日ご報告申し上げます都民意見につきましては、・・・・・・

       
(続きを 17番の発言でお読みください。)


1999-03-11 平成11年度東京都議会会議録 平成11311
7 : ◯議長(田中晃三君)
(別 紙)
   付帯決議
一 「民間社会福祉施設に対する補助金の再構築(案)」の実施に当たっては、東京都社会福祉協議会に参加している民間社会福祉施設の代表者等の理解を得るまでは、新制度に移行しないこと。
二 平和祈念館(仮称)については、次の事項に配慮すること。
 (1) 平和祈念館の建設に当たっては、都の厳しい財政状況と従来の経過を十分踏まえ、展示内容のうち、未だ議論の不十分な事実については、今後さらに検討を加え、都議会の合意を得た上で実施すること。
 (2) 東京空襲犠牲者追悼碑の早期建立に取り組むこと。
 (3) 東京空襲犠牲者名簿の収集・作成を平成十一年度の早期に開始すること。



1999.06.25 : 平成11年文教委員会において
13 ◯
松岡コミュニティ文化部長が、都議会の付帯決議等を踏まえ、東京空襲で犠牲となった方々のお名前を記録し、名簿を作成することとし、6月一日から、遺族、関係者の方々への呼びかけを開始したことを報告。
 都行政は、1999年(平成11年)七月に策定した財政再建推進プランに基づいて行っている。
(プランには平和祈念館建設の建設計画はないのであろう)

41 ◯松岡コミュニティ文化部長 モニュメントの建設につきましては、従来の経過を踏まえ、横網町公園に建設を進めると考えております。
 横網町公園は、関東大震災と東京空襲の両方にゆかりの地でございまして、昭和二十六年から、関東大震災と東京空襲の犠牲者を合祀しております。そういう点からも、横網町公園につきましては、モニュメントの建設場所としては適当であると私どもは考えております




1999-07-06: 平成11_第2回定例会(第9号) 本文から 
37 〇知事(石原慎太郎君
>>>           (前の山本賢太郎議員の質問に応えた、長い回答の最後の十数行
それから、東京都平和祈念館についてでございますが、これは、平成十一年度の一般会計に付された東京都議会の付帯決議はまことに妥当でありまして、その重みを十分認識しておりまして、これを尊重いたします。
 さらに、このモニュメントの早期建立についてでありますけれども、私、先般、部屋においでいただいて、これを推進してくれという被災者の本をいただきました。たしか「赤い吹雪」という、小説のような、実に見事な叙述の、本当にリアリティーのある体験記でありまして、私は、読んでいるうちに、引き込まれて読みましたが、ああいうことがあったということを、私たちはもう忘れつつありますけれども、東京裁判の冒頭に、戦勝国がつけたアメリカ人とオーストラリア人の兵服を着た弁護士が、日本側の戦争犯罪人容疑者に冒頭弁論で弁論する、その中に、我々はこの裁判で彼らを裁く資格があるんだろうか、これは、ジュネーブ協定違反して非戦闘員を要するに殺りくした残虐行為を裁く裁判だが、我々とて二発の原爆で十万単位の人を殺したじゃないか、かつまた、東京のあの下町を一夜にして焼いて数万人の人を殺したじゃないか。これは明らかにジュネーブ協定違反であって、そして、我々がこの裁判を要するに成立させる資格があるかといったら、ウェッブという裁判長が驚きまして、その弁論を一時とめさせまして、その後の同時通訳は禁止、さらに、最終的にはその弁論を公式の記録から削除したということでありますが、私はやはり、良心あるアメリカ人なりオーストラリア人ならば当然のことでありますけれども、要するにあの下町を襲った惨禍というものを、私たちは殊さら今になって戦勝国をとがめるつもりはありませんけれども、被害者も加害者も、ともにやはり記憶にとどめて、そして、それをよすがに人類の平和を祈るということのためにも、平和祈念館に先行して、とにかくモニュメントを建設することは大賛成ですし、私としても努力をしたいと思います

1999-11-26 : 平成11年文教委員会において、
11 ◯松岡コミュニティ文化部長が、「東京の大空襲犠牲者を追悼し平和を願う会」が(平成11年)10月29日に設立されたことをご報告。
 その目的は、都が建設する東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念するためのモニュメントの建設の趣旨に賛同し、その意義を広く伝え、普及するとともに、モニュメントの建設経費の一部に充てるため募金活動を行い、東京都に寄附することを目的に設立された任意団体。
 委員は、遺族・都民、民間団体、議会、行政の二十五名で構成。役員は、会長が石川六郎東京商工会議所名誉会頭、副会長が佐々木健雄東京都医師会長と福永正通東京都副知事、監事が山昇墨田区長。
 事業内容は、碑の建設の意義の普及、碑の建設のための募金活動、その他碑の建設に関すること。
 募金目標額は1億円、募金の期間は、平成11年11月から平成12年9月まで。募金の呼びかけは、都民、民間団体、企業、都及び区市町村に幅広く協力を要請していく。
 事務局は、生活文化局コミュニティ文化部内。

2001-11-28 平成13年文教委員会
35 ◯三好文化振興部長
が、都民から都への平和祈念館建設凍結解除の陳情を、文教委員会で審査しました。
東京都平和祈念館の建設につきましては、都議会の付帯決議の趣旨を尊重するとともに、平成十一年七月に策定された東京都財政再建推進プランに基づき、適切に対応してまいります。」
 
文教委員会は議論の上、採択を保留しています

2008-03-18 平成20年文教委員会で、
89◯杉谷文化振興部長は、「東京都平和祈念館(仮称)の建設の経緯につきましては、平成十年の三月及び平成十一年三月の都議会における予算審議の中で、平和祈念館の建設に当たっては、展示内容等について都議会の合意を得た上で実施することとして付帯決議が付 され、現在に至っております。
 
したがいまして平和祈念館の建設に関しましては、都議会で改めて一定の審議を経た上で進めることになるというふうに考えております。」


2009-05-27 平成21年文教委員会 

44◯廣瀬文化振興部長
が、都民から都への平和祈念館建設凍結解除の陳情を、文教委員会で審査を求めています。文教委員会は議論の上、採択を保留しています。前回(2001-11-28)と同様に、議論の末文教委員会の審査は不採決と決定。
47◯廣瀬文化振興部長 「東京都といたしましては、今、古賀委員がご指摘になりましたように、平成九年、十年、当時の都議会におきまして、平和祈念館の展示内容等をめぐってさまざまな議論がございました。
 そのときに、展示内容にかかわる歴史認識、あるいは見解の相違ということで大方の合意を得ることができませんで、先ほど申し上げたような付帯決議が付されたというふうに理解しております。また、そのときの議論を踏まえて、その重みを私ども十分認識しているところでございます。
 したがいまして、
平和祈念館の建設につきましては、都議会で改めて一定の審議と合意がなければ、我々、対応は難しいというふうに考えております。」

2012-02-17 平成24年文教委員会
74◯関文化振興部長 議題審議を提示
 「東京都平和祈念館(仮称)建設に関する陳情につきましてご説明申し上げます。
 お手元に配布しております請願・陳情審査説明表の九ページをごらんください。陳情二三第一〇二号、北区、「東京都平和祈念館(仮称)」建設をすすめる会代表、柴田柱馬さん外六千六百六十六人の方々からの「凍結」状態を解除し「東京都平和祈念館」を一日も早く建設することに関する陳情でございます。
 続きまして、一〇ページをごらんください。陳情二三第一〇三号、世田谷区、「東京都平和祈念館(仮称)」建設をすすめる会代表、高岡岑郷さん外一万一千二百七十七人の方々からの展示内容等の合意を得る努力を即開始し東京都平和祈念館を建設することに関する陳情でございます。
東京都平和祈念館につきましては、平成十一年第一回都議会定例会におきまして、次のような付帯決議が付されております。
 平和祈念館(仮称)については次の事項に配慮すること。(1)、平和祈念館の建設に当たっては、都の厳しい財政状況と従来の経緯を十分踏まえ、展示内容のうち、いまだ議論の不十分な事実については、今後さらに検討を加え、都議会の合意を得た上で実施すること。(2)、東京空襲犠牲者追悼碑の早期建立に取り組むこと。(3)、東京空襲犠牲者名簿の収集、作成を平成十一年度の早期に開始すること。
 これを受けまして、平成十二年度には、東京都空襲犠牲者追悼碑の建立及び東京空襲犠牲者名簿の作成をいたしております。
 なお、東京空襲犠牲者名簿は、平成二十三年三月現在、七万九千五百三名を登載しております。
 以上、簡単ではございますが、説明を終わらせていただきます。よろしくご審議のほどお願い申し上げます 以上二件でございますが、
陳情の要旨につきましては、いずれも東京都平和祈念館(仮称)を一日も早く建設することに関する陳情でございますので、現在の状況につきまして一括してご説明をさせていただきます。」

 文教委員会は、議論の末、陳情は不採択と決定

2012-06-13 平成24年第2回定例会(第9号) 本文
109 ◯知事(石原慎太郎君) 
>>>        (土屋議員の質問に応えた、知事の長い返答の最後の25行)
次いで、東京都平和祈念館についてでありますが、これは今まで歴史認識や展示内容などをめぐって、議会でもさまざまな議論がなされて、当時の予算に付された都議会の合意を得た上で実施するということなど、付帯決議はまことに妥当でありまして、その重みを十分認識しております。
 おかしな話で、広島の原爆の慰霊碑に「過ちは繰返しませぬ」、これ、一体主語は何なんですか。どう考えたってこれは日本人じゃない。オッペンハイマーという天才的な科学者、この人が原爆をつくった。私はオッペンハイマーの評伝というのを読みましたが、彼は広島の惨劇というものを目にして、日本にざんげして後悔して、その後、それをずっと演繹した水爆の製造に同意せずに、結局、マッカーシーによって非米委員会にかけるような、一時は要するに裏切り者とされて、結局、ケネディがそれを復権させたんですけれども、そのオッペンハイマーは、自分がつくった原子爆弾というものがいかに効果があって、いかに多くの人を一方的に殺りくしたか。あの瞬間にして殺された被害者というのは数十万ですけれども、九九%非戦闘員ですよ。これは明らかにジュネーブ協定違反ですが、その他のことをアメリカは堂々とやってきた。
 この記念碑の対象になっている東京の大空襲にしたって、あれはもはや高射砲が届かないぐらいの高空というものを飛ぶようになったB29という一種の新兵器というものが制空権をなくした日本の空で、超低空、三百メートルの低空でとにかく焼夷弾をばらまいて、非戦闘員を一晩にして東京では十万殺した。名古屋でも同じことをやりましたが、これをとがめた岡田資という当時の中部軍管区の総司令官が、パラシュートでおりてきたアメリカのB29の操縦士を処刑した。これは結局B級戦犯として一方的に裁かれて、抵抗の余地もなく死刑にされましたが、こういった事例を私たちはもう一回思い返したらいい。
 しかも、ルメイというのは航空の総司令官ですけれども、東京の大空襲を参謀たちは反対したのに、おれは日本が嫌いだ、日本人が嫌いだ、あの汚い国を焼いてきれいにするんだといって強行した。そのルメイに日本はおかしなことに、空軍自衛隊、航空自衛隊の創設に功があったというので勲章をやるんですな。こんなばかげた国というのは、私は世界にはないと思いますけれども、そういうことも思い起こして、この平和祈念館なるもののこれからの存続については、私たち、しっかりと物を考えた方がいいと思います。終わります。
<<<


2016-02-15 平成28年文教委員会 
68◯鳥田文化振興部長 前回(2009-05-27)と同様の議題審議を提示
「東京都平和祈念館(仮称)に関する陳情につきましてご説明申し上げます。
 お手元に配布しております請願・陳情審査説明表の一〇ページをごらんください。
 陳情二七第一〇九号、千代田区、「東京都平和祈念館(仮称)」建設をすすめる会代表、石山久男さん外三千八百七十三人の方々からの東京都平和祈念館(仮称)の建設に関する陳情でございます。
 陳情の要旨につきましては、都において、都民が、かつてアジア太平洋戦争の中で、アメリカの無差別爆撃のため未曽有の被害を受けたことに対し、この戦争の被害者を追悼し、戦争の惨禍を語り継ぎ、繰り返さないため、そして内外に平和を発信する拠点として、東京都平和祈念館(仮称)を東京にぜひ建設していただきたいというものでございます。
 現在の状況につきましてご説明させていただきます。
 東京都平和祈念館(仮称)につきましては、平成十一年第一回都議会定例会におきまして、次のような付帯決議が付されております。
 平和祈念館(仮称)については、次の事項に配慮すること。(1)平和祈念館の建設に当たっては、都の厳しい財政状況と従来の経緯を十分踏まえ、展示内容のうち、いまだ議論の不十分な事実については、今後さらに検討を加え、都議会の合意を得た上で実施すること。
(2)東京空襲犠牲者追悼碑の早期建立に取り組むこと。(3)東京空襲犠牲者名簿の収集、作成を平成十一年度の早期に開始すること。
 これを受けて、平成十二年度には、東京都空襲犠牲者追悼碑の建立及び東京空襲犠牲者名簿の作成をいたしております。
 なお、東京空襲犠牲者名簿は、平成二十七年三月現在、八万三百二十四名を登載しております。
 以上、簡単ではございますが、説明を終わらせていただきます。よろしくご審査のほどお願い申し上げます

70 ◯里吉委員
~75 ◯鳥田文化振興部長 東京都平和祈念館(仮称)に関しては、平成九年から平成十一年にかけて、当時の都議会において、展示内容に係る歴史的認識や見解に相違があり、大方の合意が得られずに、付帯決議がなされたと理解しております。
 したがって
その建設については、改めて都議会での一定の審議と合意がなされなければ、対応が難しいと認識しております
~ 79 : ◯古賀委員

~ 82 : ◯植木委員長
    
起立少数と認めます。よって、陳情二七第一〇九号は不採択と決定いたしました。
    請願陳情の審査を終わります。

平成29年第2回定例会(第9号) 本文      2017-06-07
文 書 質 問 趣 意 書
        提出者  小 竹 ひろ子
質 問 事 項
 
二 戦争の惨禍を風化させず後世に引き継ぐために、1945年3月10日未明の東京大空襲をはじめ、都内各地が終戦の8月まで空襲に見舞われ、10万人を超える人々が亡くなりました。死者の数だけみても広島に次ぐものとなっています。戦後70年以上が過ぎ、戦争の体験者も亡くなったり、生存者も高齢化しています。二度と戦争を繰り返さないために、戦争の惨禍を風化させないで次世代に引き継ぐ努力が、今ほど求められているときはありません。
 東京都は3月10日を「東京都平和の日」として条例を制定し、「東京都平和の日」記念行事企画検討委員会(以下検討委員会)を設置して、毎年の記念行事を行うこととしてきました。しかし、石原都知事になって、2001年以降「企画検討委員会」は開催されず、記念行事は行うものの、内容を豊かにする努力がされてきたとは言い難い状況になっていることは重大です。平和を願う都民などの声に押され、昨年度から、検討委員会が再開されたことは重要であり、歓迎するものです。
  「平和の意義を確認し、平和意識の高揚を図る」という検討委員会設置要綱の目的からも、記念行事をはじめとした事業のあり方等基本に立ち返り、改めて都民や関係者等から意見を求め充実をはかり、次世代への継承を図っていくことが、重要だと考え、提案します。
 1 まず委員の構成についてです。現在の委員は学識経験者2名、都議会議員5名、行政関係者(区市町村長)3名、計10名となっています。戦後70年が経過し戦争を知らない世代が多くなっているもとで、“戦争を二度と繰り返さない”という日本国憲法の精神をいかした「平和の日」の記念行事のとりくみと充実が必要です。また、オリンピック開催都市として、平和の祭典であるオリンピックの一環として、平和の願いを次世代へ継承する取組みとしても重要です。そのために都民や専門家の知恵をあつめられるよう、委員の増員が必要です。「平和の日」記念行事の内容を充実するために、戦争体験者、研究者、平和活動を行っている人たちに委嘱するなど都民の代表を補充して、定員の20人まで増員するべきと考えますが、いかがですか。
 2 東京都主催の平和の日の記念式典は、希望する都民が誰でもが参加できるようにすること、そのために会場の設定、内容・参加方法など改善することが必要です。都としての認識を伺います。
   平和の日に合わせ、記念式典とともに資料展も行われていますが、その企画も都民の知恵を集めて充実が必要です。今、戦争を知らない世代が都民の多数を占めています。今年の平和の日に合わせた空襲資料展は、記念式典会場の都庁内と、東京芸術劇場で行われました。
   私は、都が行った2ヶ所の展示とともに、「東京空襲犠牲者追悼記念資料展実行委員会」が主催、台東区が共催、台東区教育委員会が後援した「被災72周年東京大空襲資料展」を見ました。この展示は市民が実施し、30回目を迎える展示で、多くの見学者でにぎわっていました。展示している写真等は、都の展示品と共通し、重なるものも多いのですが、写真等の大きさが大きく、展示にも工夫が施され、戦災の実相、被災状況の説明等、見る人に迫る緊迫感があるのです。会場も浅草公会堂の1階で、気軽に入れることもあり、小中学生、修学旅行の生徒等が立ち寄って見て行き、開催4日間で7千人の入場者があったとのことでした。
   これに対し芸術劇場の入場者は975人と聞いています。会場が芸術劇場の地階であるため、劇場に来た人でも、展示していることを知っていなければ入れません。
 3 多くの人に観てもらうこと、特に戦争を知らない世代、小中学生に観てもらうために、会場を、気軽に入れる場所、通りがかりの人でも見ることができる場所にする必要があると思います。会場について見直しを求めます。見解をうかがいます。
 4 展示についても、戦争の実相を知ってもらえるよう、東京空襲等の展示にとりくんでいる人達や専門家の知恵を借り、さらなる充実をはかる必要があると思いますが、いかがですか。
 5 平和のための事業は「平和の日」の記念行事や終戦の日の行事にとどまるものではなく、身近な地域での民間の平和のための事業や活動と相乗することで、その効果が一層広がるといえます。その点では都が民間の平和事業と連携支援することが重要です。
   現在、都内各地で民間団体による平和のための戦争展、戦跡めぐり、体験を語る会などの多彩な行事が行われています。民間での取組みを把握して連携奨励するためにも、これらの団体の要望やどのようなことをやっているかを調査することを求めます。
   都は、東京都平和祈念館(仮称)を建設するに当たり、都民からの戦災資料の提供を求め、5千点余の資料及び300人以上の方々からの証言ビデオを所有しています。これらの貴重な資料は、祈念館建設が進まないため、15年以上眠ったまま、現在は庭園美術館の倉庫に収蔵されたままになっています。
   調査で私は、きちんと種類別に分類、整理、保管されていることを確認することができました。
 6 5千点余の所蔵品のうち、展示等に活用されているのは120点とのことです。戦争を知らない世代が圧倒的になった現在、これらの活用は急務であり、提供された方にとっても歓迎されることだと思います。
   学芸員が1人で整理に当たっていますが、資料の活用を図るためには体制の強化が必要です。学芸員等職員を増やし、小中高校等への貸し出しの体制をとれるようにすべきだと考えますがいかがですか。
   300人以上の方の証言ビデオがあり、大変貴重だと思います。ビデオテープの劣化を防ぐため、デジタル化をはかりDVDに複製されていることも重要です。
   この証言ビデオは1996年~99年度に撮影されたものです。2年半をかけて280人分撮影をした映画監督の渋谷昶子さんは、「身を切るような思いで証言してくれた方々の思いを、無駄にしないでほしい」と常々語っておられたといいます。
   証言者の自宅や仕事場に赴いて、1人あたり2~3時間、話を聞いて、1時間以内に編集する作業を繰り返して作られたもので、渋谷さんは亡くなられるまで、1日も早い公開をのぞんでいたと、知り合いの方からうかがいました。
   証言者の方も、身近な人を助けられなかった罪悪感から、長年口を閉ざしてきた人も多かったが、証言を終えると皆、一様に安堵の表情になったといいます。私の知り合いの体験者も、なかなか体験を語りたがりませんでしたが、亡くなる数年前になって、やっと重い口を開き、身内の被災の体験を語ってくれました。その点からも、この貴重なビデオを眠ったままにすることは、許されないと思います。
 7 現在活用されているのは、300人のうち9人の方々にとどまっています。証言された方々の多くがもう亡くなられたと推測される現在、その方々の「二度と戦争を繰り返してはならない」との思いから、重い口を開いて語られた証言は、多くの若い戦争を知らない世代に訴え伝える力をもつものだと思います。「りんごの唄」で知られる歌手の並木路子さん等、著名な方も証言していると聞いています。
   その責任は東京都にあります。証言ビデオを編集する等して、小中学校などの平和教育に活用することを求めるものですが、どうですか。
 8 都民から提供された5千点余の戦災の資料、300人以上の証言ビデオを、このまま倉庫に眠ったままにしておくことは、都民との約束からいっても許されません。戦争で多くの死者を出した自治体で、戦争被害を伝える資料館がないのは東京都のみと言われています。都の責任で、これらの資料を閲覧できる資料館を、作るべきと考えますが、認識をうかがいます。

文書
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小竹ひろ子議員の文書質問に対する答弁書
質 問 事 項
 二 戦争の惨禍を風化させずに後世に引き継ぐために
  1 「東京都平和の日」記念行事企画検討委員会の委員の構成について、「平和の日」記念行事の内容を充実するために、戦争体験者、研究者、平和活動を行っている人たちに委嘱するなど都民の代表を補充して、定員の20人まで増員するべきと考えるが、見解を伺う。

回   答
  東京都平和の日記念行事企画検討委員会は、「東京都平和の日に行う記念行事の実施に当たり、基本的事項について意見を求め、もってその円滑な運営に資する」ことを目的に設置しており、学識経験者、都議会議員及び各区市町村代表の首長で構成しています。
  ここ数年、記念行事の企画内容は定着し、参加者・来場者からも多くの賛意が得られていることもあり、現在の任期においては、委員の増員は行っていません。
  今後の委員会については、今期委員の任期満了後に検討していきます。

質 問 事 項
 二の2 東京都主催の平和の日の記念式典は、希望する都民が誰でもが参加できるようにすること、そのために会場の設定、内容・参加方法など改善することが必要であるが、都としての認識を伺う。

回   答
  記念式典は、毎年、都庁舎内で最も収容人数の大きい第一本庁舎5階の大会議場で実施しています。
  それに加え、平成28年度からは、都庁に来場しなくても、希望する都民が都庁大会議場の式典来場者とともに空襲犠牲者を追悼し、平和の意義を確認する機会を得ることができるよう、式典のインターネット中継放送を開始しています。
  なお、都民の式典参加は、公募による抽選としており、来場者の状況に応じて座席を調整するなど、多くの方が参加できるよう、柔軟に運営しています。

質 問 事 項
 二の3 平和の日に合わせた空襲資料展は、記念式典会場の都庁内と、東京芸術劇場で行われた。多くの人に観てもらうこと、特に戦争を知らない世代、小中学生に観てもらうために、会場を、気軽に入れる場所、通りがかりの人でも見ることができる場所にする必要がある。会場について見直しを求めるが、見解を伺う。

回   答
  平成28年度の東京都平和の日記念式典を含む期間に開催する空襲資料展は、都庁第一本庁舎1階の中央部入口付近にあるアートワーク台座のほか、区部では東京芸術劇場、多摩地域では、福生市民会館・公民館、東大和市役所1階入口ホールなど、誰でも立ち寄れる場所で実施しました。
  今後も、多くの方々に見てもらえる場所の確保や広報の充実に努めます。

質 問 事 項
 二の4 展示についても、戦争の実相を知ってもらえるよう、東京空襲等の展示に取り組んでいる人達や専門家の知恵を借り、さらなる充実をはかる必要があると思うが、見解を伺う。

回   答
  東京都平和の日記念式典を含む期間に開催する空襲資料展はもとより、年間を通じて区市町村が実施する資料展も、資料の確実な保全を基本としつつ、都の学芸員の専門知識や区市町村の要望に基づき実施しています。
  今後も、資料展における展示効果が上がるよう、展示内容を工夫していきます。

質 問 事 項
 二の5 現在、都内各地で民間団体による平和のための戦争展、戦跡めぐり、体験を語る会などの多彩な行事が行われている。民間での取組を把握して連携奨励するためにも、これらの団体の要望やどのようなことをやっているかを調査することを求めるが、見解を伺う。

回   答
  都は、毎年、「都・区市町村平和関連担当者連絡会」を主催し、それぞれの区市町村が実施する平和関連事業の情報を共有しています。
  また、この連絡会を通じて区市町村の要望を把握し、区市町村における空襲資料展への協力を行うとともに、区市町村が把握している主な民間団体の取組についても適宜、情報を共有しています。

質 問 事 項
 二の6 都は、都民からの戦災資料の提供を求め、5千点余の資料及び300人以上の方々からの証言ビデオを所有しているが、5千点余の所蔵品のうち、展示等に活用されているのは120点とのことである。学芸員が一人で整理に当たっているが、資料の活用を図るためには体制の強化が必要である。学芸員等職員を増やし、小中高校等への貸し出しの体制をとれるようにすべきだと考えるが、見解を伺う。

回   答
  空襲資料は、専門の学芸員の管理の下で、都が主催する空襲資料展で活用するほか、資料の確実な保全を基本としながら、展示効果の高い資料に限定し、区市町村が主催する平和関連の資料展にも貸出しを行ってきました。
  都が主催する資料展の実施に当たっては、テレビ、ラジオ及び新聞等の媒体を通じて告知するほか、区市町村の教育委員会等にチラシやポスターを配布し、若い世代にも資料展の開催について知ってもらうことができるよう、広く周知を図っています。

質 問 事 項
 二の7 証言ビデオについて、現在活用されているのは、300人のうち9人の方々にとどまっている。証言ビデオを編集する等して、小中学校などの平和教育に活用することを求めるが、見解を伺う。

回   答
  証言映像は、「東京都平和祈念館(仮称)」で展示することを前提として収集、作成したものです。そのうち、都主催の空襲資料展で公開することに同意が得られた9名の方の証言をダイジェスト版として編集し、毎年、都が主催する空襲資料展で紹介してきました。
  なお、空襲資料展の開催に当たっては、若い世代にも広く周知を図っています。

質 問 事 項
 二の8 都民から提供された5千点余の戦災の資料、300人以上の証言ビデオを、このまま倉庫に眠ったままにしておくことは、都民との約束からいっても許されない。戦争で多くの死者を出した自治体で、戦争被害を伝える資料館がないのは東京都のみと言われている。都の責任で、これらの資料を閲覧できる資料館を作るべきと考えるが、認識を伺う。

回   答
  都が収蔵している空襲資料や証言映像は、「東京都平和祈念館(仮称)」において展示することを前提として収集、作成したものです。
  祈念館の建設に関しては、都議会において展示内容に係る歴史的認識や見解の相違があり、平成11年3月の予算審議の結果、その建設について付帯決議がなされています。
  そのため、祈念館の建設については、改めて都議会の合意を得た上で実施することが必要であると認識しています


#1 2019-10-23 平成30年度各会計決算特別委員会第2分科会(第4号) 本文



東京空襲犠牲者遺族会 
世話人 西沢俊次